秘仏となった経緯

秘仏となった経緯

ご本尊の数奇な運命

天文15年(1546年)10月28日
細川玄蕃と山本修理が大雲寺を舞台とした合戦を展開し、大雲寺の本堂伽藍は灰燼と化す。
この折りに本尊十一面観音は化仏11面(頭頂部分)を焼損する。
御本尊は暫くの間、智光房に待避させ仮安置する。


天文20年(1551年)3月2日
三好長慶が二万の兵で岩倉を攻め、大雲寺・一山寺院・石座神社・一般家屋が灰燼と化す。
御本尊は鞍馬寺へ待避させた。(天文22年大雲寺が再興され本尊を大雲寺に還す)


永禄3年(1560年)11月18日
【秘仏となる】
正親町天皇(おおぎまちてんのう)の勅(みことのり)により、本尊十一面観音を禁封して、明学房永源が勅封を貼る。